ナフサは暴落したのに、なぜモノが来ないのか。相場と現場のタイムラグを読み解く
- ⏱ 約7分で読めます - 👁 … views「坂井さん、ニュースじゃナフサが暴落したって言ってるよね。なのにうちは、いまだにエンジンオイルが割当のままなんだよ。値段が下がったなら、なんでモノが来ないの」。
先日、とあるバイク屋さんと打ち合わせで話していて、こう言われました。とっさに、うまく答えられませんでした。「そうですよねえ」と相づちを打ちながら、自分でもその食い違いをきちんと説明できないことに気づいて、少しばつの悪い思いをしました。
前回の記事で、ホルムズ海峡の封鎖をきっかけにしたナフサ不足の構造を、自分なりに調べて書きました。あれから3週間ほど。今度は「価格は下がっているのにモノが来ない」という、前とは逆向きの謎にぶつかったわけです。打ち合わせから戻ってから、これはちゃんと腑に落としておきたいと思って、しばらく調べてみました。その過程で見えてきたことを、忘れないうちに書いておきます。
まず引っかかったのは、自分のなかにあった思い込みでした。値段が下がるのは品物がダブつき始めたからだ、つまり供給が戻ってきた証拠だ——私はどこかでそう思っていたのです。だから「暴落」と聞けば、現場も楽になるはずだと。ところが調べていくと、相場の値段と、現場に届く現物とは、まるで別の理屈で動いていることが分かってきました。社長さんの疑問がほどけないのは、私がこの二つを一緒くたにしていたからでした。
相場のほうは、確かに下がっています。日々取引されるスポット市況は、3月の急騰から4〜5月に高値圏をつけたあと、6月に入って一気に下げました。ホルムズ海峡が完全には閉まりきらないだろうという見通し、喜望峰回りといった代替ルートの確立、それに石油化学の需要そのものの弱まり——そういう材料を市場が織り込んで、相場だけ見れば「危機は峠を越えた」という評価になっている。新聞の「暴落」の見出しは、この動きを切り取ったものです。
ところが、値段の話を追いかけているうちに、妙なことに気づきました。スポットの相場が下がっても、多くの会社の仕入れに効いてくる基準価格は、すぐには下がらないのです。国産ナフサの価格は四半期ごとに、しかも過去の輸入価格をならして決まる仕組みで、相場の動きから何か月か遅れて反映される。試しに、スポットと国産価格の二つを、2026年1月を100として並べてみました。

並べてみて、なるほど、と声が出ました。赤い線、日々のスポット相場は4〜5月の高値圏から6月へ下げている。ところが青い破線の契約価格は、ラグのせいで遅れて上がり、いまはむしろ高いところで止まったまま。二本の線が、ちょうど逆を向いているのです。「相場は下がったのに、うちの仕入れ値は下がらない」という社長さんの実感は、この時間差そのものでした。値段は一つではなくて、見る場所によって、上を向いていたり下を向いていたりする。あたりまえと言えばあたりまえなのですが、グラフにして初めて、私はそれを目で納得しました。(このグラフはスポットの公開市況を一部補い、国産価格は報道された水準感から階段状に近づけた、ざっくりした指数です。数字の細かさより、二本が逆を向く形を見てもらえればと思います。)
なぜ、こんなふうに食い違うのか。腰を据えて考えてみて、いちばん腑に落ちたのは、市場と現場とでは見ている時間がまるで違う、ということでした。市場、つまり投資家やトレーダーが見ているのは未来です。半年後、一年後にナフサがどうなっているか。彼らは将来を先取りして、今の値段をつける。だから「これから需要が減りそうだ」と思えば、現物がまだダブついていなくても、値段のほうが先に下がり始める。いっぽうで社長さんが見ているのは、今です。今週の生産、来月の納品。半年後の相場観なんて、正直どうでもいい。同じ「ナフサ」という言葉を口にしていても、二人は違う時間の話をしている。社長さんと私のあいだに横たわっていたズレは、つまるところこれだったのだと思います。
調べているうちに、もう一つ、自分の見立ての甘さに気づかされました。私は最初、「投資家が先走って値段を下げているだけで、実態の供給は戻っていない」のだろうと考えていました。半分は当たっていたと思います。現物の供給はまだ正常化していないし、エンジンオイルや溶剤、一部の樹脂部品は、いまも割当のまま。現場の感覚では、危機はまだ続いています。けれど、半分は私の早とちりでした。値段の下落は、投機の産物だけではなかったのです。
というのも、値段が下がった理由には、もっと苦い事情が混じっていました。ナフサが高くなりすぎて採算が合わなくなり、ナフサを分解する設備の稼働を落としたり、止めたりする会社が出てくる。設備が止まればナフサを買う量も減るので、需要そのものが落ちて、値段が下がる。高くなりすぎたせいで使う側が音を上げ、それがめぐりめぐって相場を押し下げている。つまり今の値下がりには、「供給が戻ってきたから下がった」分と、「使う側が減産したから下がった」分とが混ざっている。後者は、ちっとも健全な値下がりではありません。
ここで、私はもう一度つまずきました。需要が減っているのなら、接着剤や樹脂だって余るはずではないか、と。けれど、そうはならない。減っているのは、あくまで石油化学のプラントが原料として買い込むナフサの需要なのです。プラントはナフサを高温で分解して、プラスチックの「もと」になる材料を取り出している(この分解設備を、業界ではクラッカーと呼ぶそうです)。その設備が止まれば、そこから生まれるエチレンやプロピレンも減る。すると、その先で作られる樹脂や接着剤、包装材は、むしろ足りなくなる。川上ではナフサが余り気味なのに、川下では資材が足りない。一見ねじれて見えるこの不思議は、こうして生まれていました。相場のニュースだけ眺めていたら、私はこの川下の苦しさに、たぶん最後まで気づかなかったと思います。
ちなみに、あのバイク屋さんが困っていたエンジンオイルは、ナフサを分解して作る樹脂とは、できかたが少し違います。オイルのような潤滑油は、原油のもっと重たいところから取り出される。ただ、もとをたどれば同じ原油で、中東情勢で原油が跳ね上がれば、ガソリンも、ナフサも、潤滑油も、そろって値上がりし品薄になる。前回も書いたとおり、切削油や機械油が手に入りにくいという声は、以前から現場にありました。だから社長さんのオイルも、樹脂や接着剤とは別の道すじをたどりながら、結局は同じ一つの嵐に巻き込まれていたわけです。
調べ終えて、社長さんに何と言えばよかったのか、ようやく言葉が見つかりました。値段が暴落したというニュースよりも、必要な原料が予定どおり入ってくるかどうかを見たほうが、ずっと現実に近い。さっきのグラフのスポット相場は、市場の風向きを知るには役に立つけれど、来月あの店の整備が滞りなく回るかどうかまでは、教えてくれないからです。
見るべきは、値段そのものよりも、納期と在庫と割当の三つだと思います。前より納期が短くなってきたか。卸や代理店の手持ちが積み上がってきたか。「ご希望の数量は出せません」という割当が、解けてきたか。この三つが動き出して初めて、現物が本当に戻り始めたと言える。逆に、相場がいくら下がっても、納期が長く割当が続いているうちは、現場の危機はまだ終わっていません。「暴落」の見出しに安心せず、自社に届く納品書と在庫表を見る。地味ですが、たぶんこれが、いちばん確かな読み方です。
あの打ち合わせのあとの数日、私はずいぶんナフサのことを考えました。考えてみれば、価格という一つの数字を、私たちはつい万能の体温計のように扱ってしまう。けれど数字は、それを見る人の立場の数だけ、違う顔を見せる。市場の見る価格と、社長さんの見る納品書とは、最初から別のものを測っていた。あたりまえのことに気づくのに、ずいぶん遠回りをした気がします。今度あの社長さんと話すときは、もう少しまっすぐに答えられそうです。