竪穴式住居とロードサイド店舗は同じ設計思想でできている
- ⏱ 約3分で読めます - 👁 … views地方のバイパス沿いを車で走ると、自分がどの県にいるのか一瞬わからなくなることがある。
コンビニ、スターバックス、ダイソー、賃貸マンション。同じ看板、同じ駐車場の割り付け、同じ建材。土地の記憶を感じさせるものが何もない場所では、日本中どこでも同じ風景が並んでいる。
この均質さを、チェーン展開という現代特有の現象だと考えたくなる。しかし、同じことは一万年以上前にも起きていた。縄文時代の集落跡を掘ると、北海道から九州まで、驚くほどよく似た住居が出てくる。
竪穴式住居である。地面を円形か方形に掘り下げ、中央に炉を置き、柱を立てて茅や土で屋根を葺く。細部の意匠には地域差があり、東日本と西日本、時代によって炉の形式や柱の配置は異なる。それでも、地面を掘って半地下空間をつくり、中央に火を置くという基本構造は列島規模で共通していた。
なぜ、これほど離れた土地の人々が、示し合わせたわけでもないのに同じ形の家に行き着いたのか。
答えは単純である。竪穴式住居は、その土地固有の何かを反映した設計ではなく、気候・材料・工法という制約に対する最適解だったからだ。地面を掘り下げれば地熱を利用でき、風雨を防ぎやすい。中央の炉は暖房と調理を兼ね、限られた道具と労力で建てられる。土地に特殊な資源や信仰上の制約がない限り、この解に行き着くのは自然だった。
縄文人は、住環境を模倣し合っていたのではない。同じ制約条件を解いた結果、同じ答えにたどり着いていた。
現代のロードサイド店舗も、同じ論理で建っている。
コンビニの棚割り、駐車場の区画、24時間稼働の照明。これらは土地の個性を反映した設計ではなく、「商品を効率よく売り、車で来る客をさばく」という制約に対する最適解である。フランチャイズ本部が全国一律の仕様書を作るのは、地域ごとに独自の答えを探すコストが割に合わないからだ。土地に特殊な制約(狭小地、観光地の景観条例など)がない限り、どの土地でも同じ答えに収束する。
竪穴式住居と郊外のロードサイド店舗のあいだには一万年の隔たりがあり、比較には無理があると感じるかもしれない。しかし両者に共通しているのは、複製そのものが目的だったわけではなく、複製が最も安上がりで機能する解だった、という構造である。
縄文人には共有すべき統一基準もマニュアルもなかった。それでも似た家が並んだ。現代のフランチャイズには明文化された基準がある。だから、なおのこと似た店が並ぶ。
統一基準をなくせば土地固有の風景が戻ってくる、という単純な話ではない。基準のなかった縄文時代にも均質な住居が並んでいた以上、問題は基準の有無ではなく、制約そのものの単純さにある。
土地に、気候や搬入経路以外の固有の核(地形の特殊性、独自の信仰、規制)があるとき、はじめてその土地だけの答えが生まれる。核がなければ、どの時代のどの土地でも、最適解は一つに収束し、風景は複製される。
バイパス沿いで自分がどの県にいるかわからなくなる感覚は、正しい。そこには県境を越えて共通の制約しかなく、それ以外の何もないのだから。