AIエージェントと作る「阿波忌部」史料集。創作させないことに全力を注いだ話
- ⏱ 約10分で読めます - 👁 … views徳島県(古代阿波国)の忌部氏・阿波忌部について、公開された一次史料の翻刻に基づく年代別の史料集をMarkdownで作りました。序章と第1〜10章に引用史料一覧・参考文献を加え、最後は表紙付きの1つのPDF(A4・168ページ)にまとめています。
阿波忌部は、地元では「神代から続く一族が大嘗祭の麁服(あらたえ)を織り、房総半島を開拓した」という壮大な物語で語られがちなテーマです。今回いちばん力を注いだのは、その物語を書かせないことでした。AIエージェントに史料を集めさせると、放っておけば伝承と史実を地続きにした「読みやすい歴史」を書いてしまいます。それを徹底的に止める作業の記録です。
なぜ「書かせないこと」が主題になるのか
阿波忌部に関する材料は、性格がバラバラです。古事記・日本書紀・延喜式のような一次史料、『古語拾遺』の氏族伝承、中世の三木家文書、近世の地誌、近代の神社所在地論争、そして現代の観光・地域振興の言説。これらを時代順に並べると、つい「天日鷲命が阿波に麻を植え、その子孫が……」と一本の線でつなぎたくなります。
しかしその線の大半は、史料では裏が取れません。たとえば次のような区別が必要です。
- 「天日鷲命が阿波で麻を植えた」のは神代の事実ではなく、9世紀初頭の『古語拾遺』に記された伝承
- 6世紀後半の「忌部山古墳群」を阿波忌部が造ったかは、考古資料からは確定できない
- 中世の三木家が古代阿波忌部の直系かは、史料では立証されていない
この区別を最後まで保つことを、資料全体の方針にしました。
方針を「仕様書」として固定する
最初に作ったのは第1章「作成方針・凡例・史料区分」です。ここで決めたことが3つあります。
ひとつは、各事項に信頼度ラベルを必ず付けること。🟢史料で確認、🔵考古資料、🟡研究上の解釈、🔴伝承、⚪不明の5段階です。次に、年代の基準を「出来事が起きたとされる年」ではなく「その情報を確認できる史料の成立年」に置くこと。神代の伝承は神代の項ではなく、それを記す『古語拾遺』807年の項に置きます。最後に、断定しないものを先にリスト化しておくこと。神話上の人物の実在、弥生時代からの連続、特定古墳の造営者、神社が同じ場所に建ち続けたこと、近世以降の家系が古代の直系であること、房総移住の史実性、麁服を織る役目が古代から制度として続いたこと。これらは確実な裏付けがない限り断定しない、と最初に縛っておきました。
この第1章を動かせないスタイルガイドにして、第2章以降は全部これに従わせています。文体・見出し・注釈・表・参考文献の形式を章ごとに揃え、各節は「概要→史料→原文→書き下し→現代語訳→確認できる事実→確認できない事項→研究上の解釈→異説→史料批判→参考文献」の順で固定しました。やや杓子定規ですが、書き手がAIだと、この窮屈さがちょうどいい歯止めになります。
一次史料は手分けして集める
章ごとに、まず史料収集のエージェントを走らせました。たとえば奈良時代の章では、
- 『続日本紀』の忌部・斎部・阿波関連記事
- 正倉院文書・木簡に見える阿波国麻殖郡の忌部姓人物
- 戸籍・計帳の伝存状況、『倭名類聚抄』の郡郷名
を、それぞれ別のエージェントに担当させ、原文・巻数・年代・出典URLをセットで報告させました。電子翻刻(J-TEXTS、国立国会図書館デジタル、国立国語研究所など)と複数の系統を照合させ、Wikipediaは使わせていません。
この章はいちばん収穫がありました。『続日本紀』神護景雲二年(768年)七月十四日条に、阿波国麻殖郡の忌部連方麻呂らへ姓(かばね)を賜った記事がある。さらに正倉院の調絁(あしぎぬ)の墨書銘(天平4年=732年)には、「阿波国麻殖郡川島郷少楮里戸主忌部為麻呂」の名が残っています。神話や古墳の解釈に頼らなくても、奈良時代の麻殖郡に忌部姓の人々が実在したことは、正史と現物で確かめられる。ここは素直にうれしかったところです。
逆に、確認できないことも確認できました。阿波忌部が大嘗祭の麁服を奉ったという制度は、奈良時代の史料には出てきません。これが文書で確認できるのは平安期の『延喜式』からで、中世は三木家文書、近代は大正4年(1915年)の復興、と段階が分かれます。「いつから確認できるか」を分けるだけで、一本の線がいくつもの断片に解けていきます。
エージェントの「気を利かせた断定」を止める
作業中、何度か事実関係の訂正が必要になりました。
第1章には「徳島県立博物館は『古墳を造営したのは阿波忌部であったと考えられている』と説明している」という要約があったのですが、博物館の現行ページの原文を実際に取得して確認すると、その文言どおりの一文は見当たりませんでした。造営者を阿波忌部と結びつける言い回しは、博物館本文ではなく、県や市の文化財資料の側に「指摘されている」「恐らくは忌部系」という留保つきで存在していた。第3章では、この食い違いを史料批判として明記しました。
「〜と考えられる」「〜と思われる」「おそらく」といった主語のない推測は、地の文では一切使わない方針にしました。代わりに「徳島県立博物館(長谷川賢二執筆)は〜とする」と、必ず主体を明記する。各章を書くたびにこの禁止表現を機械的に検索して、ゼロであることを確認しています。
現代の章では、学術研究と、地域振興・顕彰・俗説をはっきり分けました。「阿波が日本文化の起源」「忌部が全国を開拓した」といった非査読の主張は、内容に賛同するのではなく、そういう言説が流布している事実の記録として扱い、史実としては採用しない。この線引きも資料の目的のひとつです。
図とPDF化
各章にMermaidで図を6点入れました。祖神の系譜図、信頼度ラベルの判定フロー、忌部神社の所在地論争のフロー、麁服貢進の通史(中断を含む)、総合年表の概観などです。ここでも縛りは同じで、史料の記述を機械的に構造化できるものに限る。移住経路の地図や勢力分布図のような「史実と断定できないことの図解」は作りません。図にすると関係が事実のように見えてしまうので、各図に「実在を示すものではない」といった留保の注記を必ず添えています。
最後に、READMEを除く全章をPandoc + LuaLaTeXで1つのPDFに結合しました。日本語組版・目次・ページ番号・表紙付きです。地味につまずいたのが信頼度ラベルの絵文字で、LaTeXにカラー絵文字フォントがなく文字化けするため、PDF生成時だけ同じ意味の色付き●に置換しています(元のMarkdownは絵文字のまま)。Mermaid図はmermaid-cliでPNGにしてから埋め込み、図ごとに縦長・横長で表示幅を変えて本文とのバランスを取りました。
どのくらいの水準のものができたのか
身内びいきにならないよう、できあがった史料集をいったん突き放して評価してみます。わかりやすく学校の物差しに当てはめると、方法論は「学部の優秀な卒業論文」を少し超えて、修士論文の入口に届くあたりだと考えています。ただし、学術論文そのものではありません。理由を、評価できる点と限界に分けて書きます。
物差しにした軸は2つです。ひとつは「方法論の厳密さ」、もうひとつは「一次史料の扱い」。歴史の文章の質は、結論の派手さではなく、この2点でほぼ決まります。
評価できる点は、まず方法論が最後までぶれていないことです。「出来事の年代」ではなく「その情報を確認できる史料の成立年代」で並べる原則は、文献史学の基本作法そのものです。神代の伝承を『古語拾遺』807年の項に置く、という判断を11章のあいだ一度もゆるめていません。卒論でいちばん崩れやすいのが、序章で立てた方針が中盤で「読みやすさ」に負けて伝承と史実が地続きになる現象ですが、それが起きていない。
一次史料の扱いも堅実です。奈良時代の章では、正倉院の調絁の墨書銘(732年)・『続日本紀』神護景雲二年条の賜姓記事(768年)・木簡・『倭名類聚抄』の郷名を、それぞれ別系統の史料として突き合わせ、「奈良時代の麻殖郡に忌部姓が実在した」という一点を複数の証拠で固めています。神話や古墳の解釈に寄りかからず物証で詰める、というやり方は、専門の研究者が見ても妥当な手順です。
一方で、学術論文と呼べない理由もはっきりしています。
まず、一次史料の原文はすべて公開された電子翻刻(miko.org、国立国会図書館デジタル等)に依拠していて、国史大系や岩波の校訂本との字句照合はしていません。「どの本のどの字を採るか」という、研究の最後の詰めができていない。次に、三木家文書は博物館の解説経由、関連論文は書誌情報の確認どまりで、論旨そのものは読んでいません。先行研究を踏まえた、とは言えない段階です。そして、そもそも個人が短期間で作った整理であり、専門家のチェックは受けていません。
つまりこれは「公開された翻刻と博物館の解説を、出典を明示して根拠別に並べ直した二次的な整理」です。それ以上でも以下でもない。逆に言えば、その身の丈を各章の「史料利用上の限界」で自分から明記している点は、卒論より一段うえの誠実さだと思っています。
同じものを人手で作ると何日かかるか
この168ページを手作業で作ったら、という見積もりも出してみました。今回の実作業は、史料の検索・突き合わせをエージェントに分担させて、私が方針の決定と削る作業をする形で、正味の手元時間は数日です。これを全部人間がやったら、と考えると差がはっきりします。
工程を分けると、(1)40件ほどの公開資料に当たって一次史料を拾い出す、(2)漢文を読んで書き下し・要約を付ける、(3)どの情報がどの史料で確認できるかを年代順に並べ替える、(4)各節を11項目の決まった形に整える、(5)Mermaidの図6点とPDF組版、になります。重いのは(1)〜(3)です。
漢文史料を自力で読める人、つまり史学を専攻した学生や研究者が、本業の合間に手を動かす前提だと、ここまでの分量と形式の揃え方でおおよそ1〜2か月は見ておくのが現実的だと思います。『続日本紀』や『延喜式』の該当条を探して書き下す作業は、慣れていても1条あたり相応の時間がかかり、それが何十条もあるからです。
漢文の読み方から調べる一般の社会人だと、話が変わります。書き下しや史料批判の作法を覚えるところから始めるので、片手間でやれば半年〜1年、下手をすると途中で「一本のいい話」に流れて、今回いちばん避けたかった史実と伝承の地続き化に陥る危険のほうが大きい。日数より、最後まで線を引き続けられるかのほうが難所です。
AIで効いたのは、この(1)〜(3)の単純に重い部分を一気に短縮できたことです。ただし、短縮できたぶんを「いい話に寄せない」監視に回さないと質は保てない。速くなったというより、時間の使いどころが「集める」から「削る・線を引く」へ移った、という感覚に近いです。
作ってみての感想
AIエージェントは史料収集と構造化が速く、人手なら何日もかかる一次史料の突き合わせを短時間でこなします。ただ、放っておくと「いい話」に寄せてくる。今回の体感では、書かせる作業が半分、書きすぎを削る作業が半分でした。
歴史でAIを使うときに効いたのは、確実なことと確実でないことの線を最後まで引かせ続けること、それだけだった気がしています。その線引きのルールを最初に仕様として固め、章ごとに「禁止表現が残っていないか」を機械で潰す。地味な作業ですが、根拠の質がばらつく題材を扱うときは、この窮屈さがないと崩れると感じました。出来上がった168ページは、読み物としては正直そっけないです。でも、何が分かっていて何が分かっていないかを、後から自分で追える形にはなりました。