NoteSlateはどこへ消えたのか:AIベーパーウェアの正体
- ⏱ 約9分で読めます - 👁 … views「NoteSlate」という製品名を、久しぶりに思い出しました。
2011年、99ドルのカラーe-paper手書きデバイスとして話題になった、あの薄い板のことです。当時のガジェット系メディアはこぞって取り上げ、予約フォームには問い合わせが殺到しました。あれから15年近く経ちます。結局、市場に出たのでしょうか。
調べてみると、答えは単純でした。出なかった。しかも、一度ではなく二度。
最初の「NoteSlate」は、実機どころか動作するプロトタイプすら存在しないコンセプト案でした。運営会社は後に、これを認めています。あったのはアイデアと、よくできたモックアップ画像だけでした。
2015年、会社は仕切り直しを図ります。「NoteSlate SHIRO」という6.8インチのE Inkデバイスを199ドルで予約受付し、2016年の出荷を約束しました。出荷日は延期を重ね、2017年3月という新しい約束も守られませんでした。同年10月時点で、出資者への連絡は7月から途絶えていました。
いわゆる「ベーパーウェア」です。発表だけが先行し、製品が実体化しない案件を指す言葉です。NoteSlateはその代表例として、今も技術系メディアのアーカイブに記録されています。
ここまでは、よくある話として片づけられます。発表が先走り、技術的な見積もりが甘く、資金が尽きる。ハードウェアのスタートアップにはありがちな失敗のパターンです。
気になったのは、その先です。NoteSlateの経緯を確認したあとに浮かんだのは、「これから、こういう案件がAI画像や動画とともに加速するのではないか」という直感でした。
直感を確かめるには、当時と今の違いを具体的に言葉にする必要があります。NoteSlateの時代、コンセプト画像を一枚作るだけでも、デザインの技能と時間が要りました。今は、生成AIに数行のプロンプトを渡せば、実機に見える製品写真や、動作しているように見える映像が、数時間、実質無料で手に入ります。
制作コストの非対称性が開く。これが直感の中身でした。とはいえ、非対称性が開いたからといって、実際に悪用されたとは限りません。誰かがもう手口として使っているのか、それともまだ誰も試していないだけなのか。
調べていくと、思っていたより早い時期に、思っていた通りの手口を使った事件が見つかりました。
2020年、自動電磁チェス盤を謳ったKickstarterプロジェクト「REGIUM」です。プロジェクトの「About」ページには6人のチームメンバーの顔写真が並んでいました。そのうち4人は、実在の人物ではありませんでした。AI生成顔画像サイト「thispersondoesnotexist.com」由来の、存在しない顔でした。
thispersondoesnotexist.comの制作者Phil Wangが、この写真を鑑定しています。「メガネ周りの歪みと、背景のアーティファクトから判断して、Nvidiaが公開したモデル由来と見られる」というのが、その見立てでした。チェス専門メディアのLichessも独自に画像のファイル仕様(解像度、色深度、ヘッダー情報の欠落)を検証し、生成元のサイトと一致することを確かめています。
疑わしかったのは、顔写真だけではありません。プロジェクトのプロモーション動画は、電磁石でチェス駒が自動的に動く様子を映していました。Lichessのチームがフレーム単位で分析したところ、駒の背後にある別の駒の輪郭が不自然に変化する箇所が見つかりました。ストップモーションで撮影した映像を、自動駆動しているように編集した疑いです。
存在しない技術者たちが、存在しない技術を紹介していました。
Kickstarterはこの疑惑を受けて、公開からわずか7日、2020年3月2日にキャンペーンをプラットフォーム側の判断で停止しました。出資者は全員、返金を受けています。
REGIUM側は黙っていませんでした。弁明の動画を投稿し、「プロモーション動画の撮影が単に下手だっただけで、そのミスを編集で隠した」と主張しました。懐疑派が無編集の動画を証拠として求めると、「撮影して送った」とだけ答えています。
マーケティング担当者はLichessに対し、批判的な投稿を削除しなければ訴えると通告しました。後に、訴訟の意図はないと撤回しています。
動画に映っていたチェス盤自体は、スペインの製造会社Rechapados Ferrer製でした。同社の担当者は、その盤に動画で示されたような技術を実現する部品は組み込まれていなかったと証言しています。
存在しない技術者だけでなく、動いていたはずの盤そのものが、動く仕組みを持っていませんでした。
2020年です。生成AIが今のように誰でも使える段階に達するより、何年も前です。この時点ですでに、AI生成物で「存在しない人間」と「動いていない技術」の両方を演出する手口が実在していたことになります。直感の裏には、すでに実例がありました。
ここで、もう一つ確かめておきたいことがありました。プラットフォーム側は、この種の手口にどう対応しているのでしょうか。
Kickstarterは2023年8月、AI利用の開示を義務化するポリシーを導入しました。使用予定のAI技術、作品のどの部分がオリジナルでどの部分がAI生成か、学習データの出所をどう扱うか。創作者はこれらを申告する義務を負います。
制度としては前進のように見えます。ただし、その仕組みを確認すると、思っていたのとは違う姿が見えてきます。この開示ポリシーは自動検知システムではありません。創作者本人の自己申告と、人間のTrust & Safetyチームによる審査が、統制の実体です。
自己申告に依存する制度は、申告する側に悪意があれば機能しません。実際、この限界を裏付ける事件が、開示ポリシー導入後にも起きています。
NFT紐付けカードゲーム「Wonders of The First」は、約2,200人のバッカーから150万ドル近くを集めたのち、Kickstarterから削除されました。この案件では、制作者はMidjourneyやAdobe製品を使ったことを、キャンペーンページで明記していました。AI利用そのものは、隠されていませんでした。
削除の理由は、AI生成アートではありません。NFTの購入者にゲームIPの株式的な所有権を付与するという特典が、Kickstarterの既存規約(金融商品や株式の提供禁止)に抵触したためでした。Kickstarter広報も、削除理由は「AIとは無関係」だと明言しています。
この対比は、プラットフォームの摘発の軸がどこにあるかを示しています。開示されたAI利用そのものは、削除の理由になりません。摘発の実質は、著作権や金融商品規制といった、AI以前からある既存ルールへの抵触にかかっています。「AIを使ったかどうか」を見る制度ではなく、「AIを使って何をしたか」の一部だけを、既存のルールの網で拾う制度だというのが実情に近いところです。
数字の面でも、傾向は確かめられます。AI活用詐欺の報告件数は、2024年5月から2025年4月の一年間で、前年同期比456%増加しました。その前の期間(2022年から2023年、2023年から2024年)でも、すでに78%増加しています。TRM Labsが、詐欺報告プラットフォームChainabuseのデータをもとに算出した数字です。
ただし、この数字を読むときには、対象範囲を正確に理解しておく必要があります。これは暗号資産詐欺全般の報告件数であり、クラウドファンディング詐欺に絞った統計ではありません。AI生成物とクラウドファンディングが交差する領域そのものを定量化したデータは、今のところ見当たりません。急増という大枠の傾向は複数の情報源で裏付けられる一方、その内訳としてクラウドファンディング領域がどれだけ伸びているかは、確認できていません。
NoteSlateとREGIUMを並べると、ベーパーウェアという現象の根っこは変わっていないことに気づきます。どちらも、実現していない約束を、実現したかのように見せる行為です。変わったのは、その約束を実物らしく見せるためのコストです。
2011年のNoteSlateは、デザインスキルを持つ人間が、時間をかけてモックアップを作る必要がありました。2020年のREGIUMは、無料の顔生成サイトから写真を落とすだけで、存在しない技術者チームを用意できました。動画についても、ストップモーションという昔ながらの撮影技法止まりでしたが、今なら映像生成AIで、より滑らかな「動作デモ」を作れる段階に来ています。
制作側のコストは下がり続けています。一方、購入者や出資者の側が「これは実在するのか」を確かめる手段は、大きくは変わっていません。試作機の実機レビュー、第三者による分解記事、専門コミュニティによる技術的な検証。REGIUM事件でも、疑惑を突き止めたのはKickstarterの自動検知ではなく、チェス専門メディアLichessの有志による地道な検証でした。
制作コストは下がり、検証コストは下がりません。この非対称性が開いたままである以上、NoteSlateからREGIUMへ、そしてその先へという流れは、止まる理由が見当たりません。
見分ける側に立つなら、プラットフォームの開示バッジや審査通過を、信頼の証として鵜呑みにしないことです。REGIUMのように無審査で見抜かれた例もあれば、Wonders of The Firstのように開示済みでも問題視される例もあります。開示の有無と、実在性の保証は、別の話です。
NoteSlateが最終的にどうなったのか、今の運営体制がどうなっているのかは、確認できませんでした。会社としての活動実態を示す最新の情報は見つからず、ウェブサイトだけが残っている状態です。
NoteSlateを思い出したのは、たまたまでした。次に思い出すきっかけが、似たような手書きデバイスの発表であってほしくはありません。